2018.5.4
おそばを食べに行ったり、
温泉に行ったり…、
去年から只見に行くことが何度かありました。
40年ほど前も何度か尋ねたのですが…。
田子倉湖に行くのは初めてです。
湖畔に出ると、
視界が一気に開けて、
雄大な景色が広がります。
県内きっての豪雪地帯、
ゴールデンウィーク中でも残雪があって、
日が陰ると、身震いする寒さです。
湖畔のレストハウスは売店だけで、
食堂も、遊覧船も、
今年の営業はまだ始まっていませんでした。
写真に撮ると、小さく見えますが、
右側の堰堤の上の点が人です。
大規模な雪崩のあと…。
冬の厳しさがしのばれます。
只見に来て、
入叶津という地名を聞いて、
昔ここから浅草岳に登ったことを思い出しました。
入叶津からは傾斜は緩やかでしたが、
距離が長くて、歩きながら寝そうに…。
反対に、田子倉隧道からの道は、
一気に1000メートル登る短いけど険しい道だった記憶が…。
雲に隠れていますが、
たぶんこれが浅草岳
登ったのは六月から七月のはじめの頃だったと…。
このくらいは登れないと海外でのトレッキングは難しいかな…。
と想いながらも、
つらかった登りを思い出しています。
40年も前なのに…。
つらさが鮮明に…。
駐車場から少し行くと神社がありました。
八幡様です。
ダムの安全祈願で創られたものかと思いましたが…。
由緒ありげな狛犬の台座に明治35年の文字が…。
狛犬はシンプルで直線的な感じです。
表情も独特で、
小さい女の子を見ているようです。
お社の彫刻も立派で、
昔からの神社をここに移したようです。
湖畔川には小さい祠が並んでいて、
古くからの信仰の対象であったことが…。
そして、こんな記念碑が建っていて、
ここに、昔は豊かな集落があって、
人々が代々住み続けていたこと、
国益の電源開発のために、
泣く泣くこの地を離れたことが記されていました。
こういったことが、
昭和30年代、40年代には日本の各地で起こっていたのでしょう。
原発避難の方と、意味は違いますが、
国益の電源開発ということと、
地元を離れなければいけなかったというところで、
なにか通じるものを感じました。
便利さの陰で我慢を強いられる人がでませんように…。
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